【習近平国家主席】は今や全世界が注目か?毛沢東以来のカリスマ指導者になりつつあり世界の牽引者に!

習近平国家主席について

習近平国家主席といえば、今や世界最高の国家権力者あるいはリーダーと言っても過言ではないと思います。

1953年生まれで、父親の習仲勲は1949年に中華人民共和国建国後、毛沢東政権で副総理になっています。

それゆえに習近平の幼少期は裕福な生活を送っていましたが、1966年彼が中学生の頃に父親が文化大革命で失脚すると塗炭の苦しみを味わうことになったのです。

やがて文化大革命も終息して、彼は田舎にいたのですが、共産党に入党しました。

それから出世街道まっしぐらで、河北省、福建省、浙江省、上海市等で様々な役職を経験しました。

2007年に胡錦濤政権で国家副主席に任命されました。

そして2012年11月に中国共産党中央委員会総書記と党中央軍事委員会主席に就任し、その4ヶ月後には、ついに国家主席になったのです。

習近平国家主席のプロフィール

名前 習近平、簡体字: 习近平、繁体字: 習近平、英語: Xi Jinping
任期 2016年4月21日 – 現職
生年月日 1953年6月15日(68歳)
出身地 中華人民共和国の旗 中華人民共和国 北京市
政党 中国共産党
出身校 清華大学など
現職 党中央委員会総書記、党中央軍事委員会主席、国家主席、国家軍事委員会主席、党中央政治、常務委員会委員、党中央国家安全委員会主席
配偶者 柯玲玲、彭麗媛
子女 習明沢(娘)
親族 習仲勲(父)斉橋橋(姉)習遠平(弟)

 

習近平国家主席の経歴

1953年6月15日 北京市で誕生
1965年 中学校である北京市八一学校に入学
1966年 文化大革命の発生により学校が解散された。この事により習の学校教育が中断された。習は世界最強の囲碁棋士の1人に数えられる聶衛平と北京25中学からの友人で、聶によれば中国人民解放軍の劉衛平少将との3人で「北京25中学の三平」と呼ばれていたとされる。八大元老でもあった父の習仲勲が迫害された文化大革命において反動学生として批判された。紅衛兵によって十数回も批判闘争大会に引き出され、4度も監獄に放り込まれた。
1969年から7年間 陝西省延安市延川県に下放
1974年 中国共産党に入党した。下放された同地で生産大隊の党支部書記を務めている。
1975年 時は文化大革命の期間中で、全国普通高等学校招生入学考試が中断しており、中学1年以降に正式な教育を受けていない。しかし、「工農兵学員」という模範的な労働者・農民・兵士(個人の政治身分)の推薦入学制度を経て、国家重点大学の清華大学化学工程部に無試験で入学し、有機合成化学を学んだ。
1979年 同大学を卒業した後、国務院弁公庁及び中央軍事委員会弁公庁において、副総理及び中央軍事委員会常務委員の耿飈の秘書をかけ持ちで務めた。
1985年 アメリカ合衆国を視察で訪問して、当時のアイオワ州知事で後に駐中国大使のテリー・ブランスタッドと親交を結んでホームステイをした。
1998年から2002年 清華大学の人文社会科学院大学院課程に在籍し、法学博士の学位を得た。しかし、海外の複数メディアから、論文の代筆の疑惑が報じられている。廈門副市長、福州市党委員会書記
2000年 福建省長となった。
2002年11月 張徳江に代わって49歳で浙江省の党委書記に就任し、この時期に浙江省軍区党委員会第一書記、南京軍区国防動員委員会副主任、浙江省国防動員委員会主任を兼任した。
2006年 上海市で大規模な汚職事件が発覚し、当時の市党委書記の陳良宇が罷免された。
2007年3月24日 書記代理を務めていた上海の韓正市長に代わって上海市党委書記に就任した。これにより、第17期の党中央政治局入りは確実とみられた。
2007年10月 第17期党中央委員会第1回全体会議(第17期1中全会)において、一気に中央政治局常務委員にまで昇格するという「二階級特進」を果たし、中央書記処常務書記、中央党校校長に任命された。上海市党委書記は兪正声が引き継いだ。中央党校校長時代は「幹部は歴史を学べ。世界四大文明の中で中華文明だけが中断せずに今日まで続いている」と述べた。後年にエジプト・イラク・インドなどを集めた「世界古代文明フォーラム」の共同設立を唱える習の歴史観や思想戦略が既に形成されていたとされる。
2008年3月15日 第11期全国人民代表大会第1回会議で国家副主席に選出される。
2009年12月 国家副主席として日本を訪れ、環境に優れた先進技術施設として安川電機の産業用ロボット工場を視察した際に経営陣から伝えられた創業者の安川敬一郎と孫文ゆかりの逸話に感銘を受けて「とても感動した、我々はこの日中友好の伝統を受け継いで発揚するべきだ」と発言して中国の公用車である紅旗の組立用につくられたロボットの披露に拍手をおくった。一方で訪日のなかで起きた天皇特例会見の問題は日本で論争を巻き起こした。
2010年10月18日 習近平は第17期5中全会で党中央軍事委員会副主席に選出された。党中央軍事委員会は共産党が国家を領導するという中国の政治構造上として、事実上の最高軍事指導機関である。副主席として党中央軍事委員会に入ったことで、習は胡の後継になることが事実上確定した。さらに同月28日に全国人民代表大会常務委員会の決定によって国家中央軍事委員会副主席に就任した。しかし、習が党中央軍事委員会副主席の地位を獲得するまでには紆余曲折があった。2009年9月の第17期4中全会で党中央軍事委員会副主席に選出されるという見方があったが、結局選出されなかった。その理由として、背後で胡直系の共青団出身の李克強を推そうとする勢力と、江沢民系の上海閥(上海幇)と呼ばれる勢力との間に生じた権力闘争が原因だとする見方があった。これによると、習は上海閥の流れを汲む人物であり、共青団系の勢力が躍進している現在においては党内基盤が弱くなっているというものだった。しかし、江沢民だけで無く、共青団系で最長老の1人である宋平も習の強力な後ろ盾になったとされる。結局、2010年10月の第17期5中全会で習は党中央軍事委員会副主席に選出され、胡の後継者としての地位を確立した。これは各派閥の妥協の結果とされ、特定の派閥というよりは軍部の強い支持を受けてのものとされる。習を支える陝西閥(陝西幇)、陝軍、之江新軍などの習近平派は後に台頭することになる。

 

習近平国家主席の人物像

習近平国家主席の人となりは、果たしてどうなんでしょうか。

2018年には、フォーブスで世界で最も影響力のある人物として第一位に輝いています。

確かにリーダーシップはかなりあるように見えるのですが。

彼の生育歴を辿ると、人となりが露わになってくると思います。

習近平国家主席の父親である習仲勲は1949年に中華人民共和国建国後、毛沢東政権で副総理になっているほどの重要人物です。

1966年彼が中学生の頃に父親が文化大革命で失脚すると塗炭の苦しみを味わうことになったのです。

弱者の立場も理解できるような生い立ちを過ごしているようです。

そういう習近平国家主席と交流のあった元中国大使の宮本雄二氏は「饒舌でなく人の意見を聞く方。胆力を感じる。江沢民や胡錦濤よりも『中国流の大人(たいじん)』」であると述べています。

頼り甲斐のある大ものの風貌から、偉大な指導者であるのは確信できます。

習近平国家主席の対日観

習近平国家主席の対日観は、一体どんなものでしょうか。

米中対立の狭間で、日本の舵取りは為政者にとっては非常に難しい事だと思います。

習近平国家主席は、求心力維持のために日本を利用することは充分にあり得ます。

その一例として、中国が民主化運動を武力弾圧した1989年の天安門事件によって、中国は国際社会から孤立していました。

しかしながら、1992年に当時の天皇陛下の訪中

が契機となり、各国が対中制裁を解除していったという歴史的事実があります。

それで、中国側は日本との決定的な対立を避けているようです。

現在、対米関係改善のめどが見えないので、米国の同盟国である日本を取り込むメリットが大きいためだと思います。

日中関係筋によると、中国の多くの省・市が、国交正常化50周年行事の開催準備を進めているそうです。

習近平国家主席は党創立100年に続き、来年2月の北京冬季五輪・パラリンピックを成功させ、自らの威信を高めようとしているようです。

そのためには日本の協力は重要だと思われています。

習近平国家主席とIT企業

中国のIT企業と言えばアリババが真っ先に想起されます。

創始者馬雲と中国当局との関係が、最近ギクシャクしているように見えるのですが、実際はどうなんでしょうか。

馬雲の動静が一時期把握できなかった後、アリババ傘下のアント集団はIPOへの上場を禁止されました。

さらに規制当局がアリババを独禁法違反容疑で捜査対象にしました。

一体何が起こったのでしょうか。

すなわち馬雲は、野望実現を目前にしてITビジネスの世界から撤退せざるをえない立場に追い込まれたようです。

馬雲の企業家としての躓きの契機は、昨年の失踪直前に「時代錯誤の規則が中国の技術革新を窒息死に追い込む」との自論を展開しました。

これは確かに虎の尾を踏んだと言っても過言ではないと思います。

この発言を自らの政策への拒絶と受け取った習近平国家主席は馬雲に対し断固たる処断を下したと思われます。

その後、なんと中国IT大手20社が独占禁止法順守を表明しているようです。

アリババが支配的地位の濫用をしたということで182億元(約3000億円)の罰金を科されたことが表明の背景にあったことは言うまでもありません。

こうしたいきさつの中で、馬雲はすでに私の時代は終わったと周囲に漏らしているそうですが、馬雲と同じような心境の企業家は多いのではないでしょうか。

まとめ

中国は2021年7月1日に、北京の天安門広場で中国共産党創設100年の祝賀式典を開催しました。

中国は過去の歴史の教訓に学び、文化大革命が混乱を招来したとして、集団指導体制をとってきたと思うのですが、ここにきて宗旨替えをしたのでしょうか。

毛沢東への権力集中を想起させるような人民服に身を包んで、中国共産党100周年記念式典の壇上に立った習近平国家主席の姿を見て感じた次第です。

会場に参集した7万人の党員を前にして、習近平国家主席は、「1921年7月の創設以来、共産党は欧米の勢力に打ち勝ち、中華民族の偉大なる復興を実現するため、政治制度の基盤を築き上げてきた」「共産党の指導は中国社会主義の頂点であり、欧米の民主主義とは今後も決別する」と高らかに述べました。

まさに偉大な毛沢東への回帰を彷彿させるようで彼が降臨してきたような感じの演説の模様には驚天動地でした。
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