演歌は演説歌から発展との作家五木寛之の解説と期待の演歌歌手

はじめに

作家の五木寛之氏によると、

演歌とは、演説歌謡だそうです。

明治時代に自由民権運動の活動家が

激しい言論弾圧下にも関わらず

街角の演説会場で

七五調で節を付けた歌で

政治批判をしていたのですが、

これが大衆に人気を博し

演歌として、大流行したものです。

演歌の歴史について

作家の五木寛之氏は、

演歌にも造詣が深く、彼自身作詞した曲も

数多くあります。

旅の終わりに、燃える秋、二人の海峡、

愛の水中花、夜明けのタンゴなどです。

五木寛之氏によると、演歌は社会の

底辺で流行ったもので、

平安時代の今様のように、

生活の中から湧出してきたそうです。

社会の底辺を流れた歌で、明治20年頃に

街頭で生まれ、時事問題を七五調の

リズムで節をつけて歌ったのです。

主に政治批判で、プロの歌い手ではなく

壮士すなわち民権活動家だったのです。

自由民権を唱える演説会場は、

いつも官憲によって

弾圧されていたのです。

当時の新聞紙条例、讒謗律、集会条例、

保安条例等により、

言論が封殺されていたのです。

運動家は弾圧の間隙をぬって、

政治講談、壮士芝居、などを使って

政府批判のメッセージを

送っていたのです。

そういう流れの中で、街頭演説も

生まれたのです。

歌で政治批判をした演歌は、

演説歌謡として、一世を風靡したのです。

最近の演歌の状況について

最近演歌という言葉を、めっきり

聞かなくなったような気がします。

演歌は中高年が好む古くさい

カッコ悪いものというイメージが

蔓延しているようです。

歌謡番組も数少ないし、演歌歌手も

あまり目にすることがなくなりました。

たまにカラオケバトルなる番組の中で、

若い人が演歌を歌っていることも

あります。

しかしながら、やはり若者は洋楽、

JポップスやKポップスに

魅了されると思います。

若手演歌歌手の丘みどりさんについて

演歌歌手が少なくなった中で、

期待の若手女性演歌歌手が

丘みどりさんです。

昭和59年姫路市安富町出身です。

県立山崎高校(宍粟市)を卒業後、

アイドル活動などを経て平成17年に

演歌歌手としてデビューしました。

平成2930年のNHK紅白歌合戦に

連続出場を果たしました。

現在、ひめじ観光大使、

宍粟観光大使としても活躍しています。

5歳の時、鳥羽一郎さんのコンサートに

感動したようです。

また、小学5年生で兵庫県の

民謡コンクールで優勝したそうです。

それから、高校を卒業後、

事務所を移って21歳で

演歌歌手としてデビューしました。

キャンペーンで、カラオケ喫茶やスナックを

回ってもCDは売れなかったようです。

10年間活動を続けたのですが、

30歳になったら辞めようと決心し、

残りの期間を全力で頑張ったそうです。

ついには、紅白歌合戦に出られたのです。

着物の先生に「自分自身として

ステージに立つのではなく、

曲の主人公を演じながら歌いなさい」と

言われ、演じるように歌いながら、また

声の出し方や表情を

変化させるように

気を付けているそうです。

丘みどりさんの今後の目標は、

普段は演歌を聞かない人や

若い人に興味を持ってもらい、演歌の

かっこよさを知ってもらいたいそうです。

最後に

兵庫県姫路市出身の美人女性

演歌歌手丘みどりさんの『紙の鶴』は、

なかなか良い曲で歌いやすいです。

演歌を絶滅危惧種にしては

駄目ですね。

是非日本の代表的な文化の

ひとつとして残存して欲しいです。

若手代表の演歌歌手として

演歌復権の牽引車として頑張って

欲しいものです。

ABOUTこの記事をかいた人

長年教育の場で、働いてきました。 前半は、日本の小学校で、 後半は日本の高校、日本の大学、 中国とベトナムの大学で日本語教師という風に! 今年2018年6月に日本に帰国しました。