はじめに
香港デモが過激化しているようです。
香港警察が初めて発砲するという
事態が発生したそうです。
威嚇のため空に
向けてだったそうです。
8月25日のデモではデモ隊を
襲ったギャング、警察と関係が疑われる
白シャツ集団の巣窟である
麻雀店をデモ隊が壊す動きも
あったようです。
泥沼化の様相です。
ハンガリー動乱について
ハンガリー対ソ連と香港対中国が
相似形のように想起されるのは、
私だけでしょうか。
1956年10月、ハンガリー市民が
ソ連の強行支配に対抗して、
首都ブタペストで決起したのです。
警察の過剰警備への反発もあり、
ソ連の操り人形と見なされていた
ハンガリー政府への反乱に
エスカレートしていったのです。
そして、ついにハンガリーでは
大衆寄りの新政権が発足したのです。
その後、1956年11月4日未明に
ソ連軍の戦車が突然、
ブタペスト市内に侵入して多数の
ハンガリー市民が殺害されたのです。
これによって、ソ連の東欧支配は、
一時的には維持される事になったのです。
しかしながら約30年後には、歴史に
見られるようにソ連崩壊にまで
至る事になってしまったのです。
中国共産党の歴史観
中国政府は、香港のデモについて
譲歩すれば、つけあがると思っている節が
あります。
中国は他国の共産党が辿った運命について
放置したからだと思っているようです。
ポーランドについては、自主労組連帯の
活動を潰さなかっからだと、
東ドイツについては、ベルリンの壁を
破壊する民衆を止めなかったからだと、
どちらも体制側が譲歩したため、
反体制派をエスカレートさせ、
事態を制御不能にしたのだと、
中国共産党は思い込んでいるのです。
天安門事件についても、乗り切れたと
見なしているので、共産党統治の
正統性を不安定化させる事態は
容認できないのです。
最後に
天安門事件かハンガリー動乱か
選択を決断するのを迫られているのは
確かです。
というのは、10月1日の
中国建国70周年までに、情勢を
安定化させたいものと思われるからです。
今の共産党は、体制存続の為なら
手段を選ばない段階にまで
きているのです。
なんと人民解放軍の香港駐屯部隊の
指揮官陳道祥は、「香港における
国家の主権、安全、安定および繁栄を
断固として守る」と強弁しています。
また2ヶ月前には、中国の魏鳳和国防相が
「天安門事件後の中国の安定こそが、
武力弾圧という政府の選択が
正しかったことを証明している」と
述べているのです。
中国政府が天安門事件かハンガリー動乱か
どちらの事件後を連想するかによって
香港の運命が左右される事に
なるのでしょうか。
不透明な要素がありますが、
出来れば流血の事態は回避して欲しい
ものです。