昭和歌謡アイドル20名が夢スター歌謡祭で歌合戦やトークショー

はじめに

尼崎アルカイックホールで、

昭和歌謡のイベントがありました。

その名も夢スター歌謡祭

春組対秋組歌合戦です。

チーム春組は、石井明美(CHA-CHA-CHA)

おりも政夫(ブルドッグ)、桑江知子(私の

ハートはストップモーション)、平浩二

(バス・ストップ)、チェリッシュ

(てんとう虫のサンバ)、ロザンナ

(愛の奇跡)、葛城ユキ(ボヘミアン)、

ZERO(韓国ドラマ「美しき日々」主題歌)

狩人高道(あずさ2号)、保科有里

(さくらの花よ泣きなさい)

チーム秋組は、あいざき進也

(気になる17才)、元フィンガー5晃

(学園天国)、伊藤咲子(ひまわり娘)、

元ガロ大野真澄(学生街の喫茶店)、

辺見マリ(経験)、

リリーズ(好きよキャプテン)、あべ静江

(みずいろの手紙)、フォーリーブス

江木俊夫(ブルドッグ)、青い三角定規

西口久美子(太陽がくれた季節)、

三善英史(雨)

美空ひばりについて

昭和歌謡と言えば、まず想起されるのは

美空ひばりです。

本名は加藤和枝で、幼い頃から地方劇場で

歌い続けていました。

1948年に念願の横浜国際劇場で

出演する事になったのです。

1949年8月に映画『踊る竜宮城』の中で、

その主題歌『河童ブギウギ』で

レコード・デビューをしたのです。

9月に初めて主演した

映画『悲しき口笛』は、

第2次世界大戦後の混乱を強く

生き抜く少女役を見事に演じて、

同名の主題歌までも大ヒットしました。

それ以後は、日本コロムビア・レコードと

専属契約を結び、次々とヒット曲を

出していったのです。

そしてついには、「歌謡界の女王」として

君臨するほどの存在となりました。

代表曲としては、『リンゴ追分』

『柔 (やわら、1965年日本レコード大賞

受賞) 』『悲しい酒』などをはじめとして、

全作品は 1000曲以上にもなったのです。

御三家について

歌謡界の黄金時代を築いたのは、

やはり御三家と称された橋幸夫、

舟木一夫、西郷輝彦が挙げられると

思います。

中でも際立っているのが三人が出演した

青春映画です。

橋幸夫「いつでも夢を」、

舟木一夫「高校三年生」、

西郷輝彦「恋人をさがそう」が

特に人気を博したようです。

昭和40年前後に大量生産された

歌謡映画そのものが

高度成長期真っ只中の日本社会を

反映する宝の山とも言えます。

御三家の出演作品を見ることによって

青春群像を考察すれば、

昭和時代のパワーとは何だったのかが

探れるのではないかと思います。

新御三家について

新御三家は、1970年代に活躍した、

郷ひろみ・西城秀樹・野口五郎の3人を

指す言葉です。

先輩の元祖『御三家』の3人は

年齢やデビューの時期に

違いがあるのですが、

『新御三家』は1955年から1956年

(昭和30年〜昭和31年)生まれで

デビューも1971年から1972年

(昭和46年〜昭和47年)と

大体同時期のライバル同士です。

郷ひろみは、

「男の子女の子」で歌手デビュー

(1972年8月1日発売)

西城秀樹は、

「恋する季節」で歌手デビュー

(1972年3月25日発売)

野口五郎は、

「博多みれん」で歌手デビュー

(1971年5月1日発売)

郷は女の子に間違えられるほどの

美少年で、西城は男性的でセクシーで、

野口は気品的な優しさと、

ルックスも魅力も三者三様で、

全国の若い女性たちの人気を

独占したのです。

ムード歌謡について

ムード歌謡は、もともとは

ジャズ、ハワイアン、ラテンを

基本にした歌謡曲だとのことです。

1950年代(昭和20年代後半)に、

主にGHQを客層として活動していた

歌手やバンドマンたちが、

東京の銀座や赤坂のナイトクラブに

活動拠点を移して、

客の要望を受け入れてムードのある

ダンス音楽を演奏し始めたのが、

「ムード歌謡」の契機だといわれました。

もともと当時流行していた

ハワイアンのバンドや

進駐軍相手にジャズを歌っていた

歌手が中心となり、

ハワイアン音楽の特徴や半音進行を

混交したジャズ音楽の

持ち味は、そのままムード歌謡にも

受け継がれていきました。

そして、フランク永井や

和田弘とマヒナスターズ、松尾和子らの

人気とともにムード歌謡は

流行していったのです。

1960年代には一大ジャンルを

形成しました。

ムード歌謡が歌謡曲の本流だったと

言える時代だったと言えます。

森進一・五木ひろし・八代亜紀のような

後の演歌界の大御所も、デビュー当時は

ムード歌謡色が濃厚だったのです。

1970年代(昭和40年代後半)以降は、

当時、大人の社交場であった

ナイトクラブやキャバレーが

衰退していったのです。

それにあわせて、ムード歌謡の描く

世界は何か非現実的で古くさいものと

一般大衆に受けとられるように

なりました。

一方でフォークソングや

ニューミュージックなどの台頭もあり、

ムード歌謡はだんだん

衰退していきましたが、

1970年代後半(昭和50年代)に

カラオケスナックが流行するとともに

時代に合わせたスタイルでヒットを飛ばす

例も多少はあったようです。

最後に

昭和時代は、まさに歌謡曲の

全盛期だったと思います。

令和の新時代には、歌謡曲の存在感が

あまり無いようです。

たまに歌謡曲でヒット曲が出ても

昭和時代のように老若男女に広く

行き渡ることは無いようです。

しかしながら、相変わらずカラオケ人気は

凄まじいものがあります。

週末になると、殆どのカラオケボックスが

満室となるようです。

多分歌われる曲は、世代間のギャップが

あると思います。

今日のこのステージも多くの観客が

いますが、殆どが高齢者だと言っても

過言ではないと思うのですが…

なんとあの葛城ユキが70才の古希とは、

びっくりしました。

今年1年は、葛城古希と呼んで下さいと、

冗談を言っていましたが…

ABOUTこの記事をかいた人

長年教育の場で、働いてきました。 前半は、日本の小学校で、 後半は日本の高校、日本の大学、 中国とベトナムの大学で日本語教師という風に! 今年2018年6月に日本に帰国しました。