中国民主化の可能性!天安門事件から30年中国の経済大国化の影響

はじめに

中国に関心があるので、

苦言を呈したいと思います。

中国民主化運動は、根っこから

絶たれてしまったのかという点です。

共産党一党独裁とは、こんなにも

強固で盤石なのかと痛感しています。

2019年は、

五四運動100年にもあたります。

元来、民主化運動の原点です。

天安門事件について

胡耀邦前総書記の突然の死が

1989415日の事です。

胡耀邦は、政治改革に前向きで、

学生から絶大な信頼のあった政治家です。

それ故に、1987年に中国政府によって、

総書記を解任されたのです。

19894月の胡耀邦元総書記への

追悼活動が発展して民主化要求運動が

展開されていったのです。

そして、5月には、天安門広場で

100万人規模のデモが実施されたのです。

当時の中国共産党は、当時の改革派の

趙紫陽総書記を

解任同然の状態にして、戒厳令を

布告したのです。

63日夜から4未明に、学生によって

占拠された天安門広場に人民解放軍が

戦車、装甲車などで、

制圧に向かったのです。

その結果、多数の死傷者が出ました。

中国政府は、この天安門事件を

反革命暴乱として、再評価を

頑なに拒否しています。

89年の民主化運動の幕開けは、

学生運動のリーダー王丹が、

人民英雄記念碑で、次のように

演説して始まったのです。

①胡耀邦への公正な評価

②指導者と子弟の資産公開

③民間新聞の発行許可

④知識人の待遇改善

等の7項目を要求し、学生約2千人が

新華門前に座り込み、

李鵬首相との対話を求めたのです。

しかしながら、李鵬首相は、

壁新聞やスローガンは反党、反社会主義で

かつ、これは計画的陰謀で党と

社会主義体制を根底から否定するので、

この動乱に先鋭に対峙するべきとの

認識だったようです。

天安門事件の経緯

天安門広場を中心に、なんと49日間も

民主化要求運動は、続いたのです。

この世界に衝撃を与えた事件から、

201964で、30年になります。

人民解放軍兵士が、群衆に向けて

水平射撃したり、戦車が学生を次々に

押しつぶしていったそうです。

天安門事件で、かなり有名になった

映像が、戦車の前に立ちはだかり、

戦車の行く手を遮るかのような

男性の姿でした。

最後に

天安門事件から、30年経過しています。

長いようで、短いのか分からないですが、

リアルタイムで、報道を見ていた私に

とっては、忘れ難い事件です。

まさか人民解放軍が自国の学生達に

銃を向けるとは、

思いもよらなかったのです。

中国政府は、天安門事件後30年は、

平和な時代になったように

主張しているようですが、

経済的に発展したことで、

不平不満を抱く層が

激減しているのかもしれないですね。

しかしながら、天安門事件は、

抹消出来ない厳然とした

歴史的事実なので、

検証する必要はあると思うのですが

情報統制して、報道規制するのは

問題ではないかと思います。

ABOUTこの記事をかいた人

長年教育の場で、働いてきました。 前半は、日本の小学校で、 後半は日本の高校、日本の大学、 中国とベトナムの大学で日本語教師という風に! 今年2018年6月に日本に帰国しました。