はじめに
「成功をどう定義すればいいのかは
分からないが、何が敗北であるかは
知っている。
それは、あきらめることだ」
馬雲(ジャックマー)
さすが世界を揺るがすアリババの
創業者の言葉だけに含蓄があります。
ジャックマーのおいたち
ジャックマーは、決してハンサムとは
言えないです。
貧相で、体つきもあまりいいとは
思えないのです。
学生時代、数学の成績は芳しくなく、
大学受験には、2度も失敗しているのです。
たまたま遭遇したコンピュータを使って
ビジネスを開始したのです。
もともとコンピュータ音痴でしたが、
中国電子商取引の神話を作ったのです。
そして、中国のビル・ゲイツとまで、
言われるようになったのです。
大学生活から社会人へ
1988年、ジャックマーは、
杭州電子科技大学の教師になるのです。
理工学部がメインの大学だったが、
ビジネス貿易学科や外国語学科で、
素晴らしい授業を展開し、瞬く間に
人気教師となったのです。
教室は、多くの学生で溢れ、ジャックマーが
教えると、どんなに愚鈍な学生でも
英語が話せるようになったのです。
まさしくレジェンドと呼ばれる教師という
ことになります。
ジャックマーの人脈
この教師時代の経験が
ジャックマーにとっては、大きかったようです。
ジャックマーの創業したアリババは、
17人の仲間と始めたのですが、
その内の何人かは、ジャックマーの
生徒や同僚だったのです。
杭州電子科技大学での教師時代の数年間が、
アリババの最大の信頼できる創業チームを
構築したのです。
大学教師退職後
ジャックマーは、大学教師を退職した後、
翻訳会社を設立し、その経営に専念しました。
「海博翻訳社」という名前で、杭州で
最初の翻訳専門会社ということになります。
しかしながら、この翻訳会社の経営は、
困難を極めたのです。
なんと赤字の連続だったのです。
でもジャックマーは、決して弱音を吐かず、
あちこち出向いて、セールスをした
結果、大幅黒字を確保し軌道に乗り始め、
経営が安定したのです。
海博翻訳社は、今でも存続しています。
ジャックマーの希望通り杭州最大の
翻訳会社になったのです。
アメリカでの経験
ジャックマーがインターネットを
事業の柱に据えたのは、アメリカでの
貴重な経験があるのです。
1995年、杭州市政府は高速道路を
建設していました。
政府が資金を集めていたのですが、
アメリカの投資会社が名乗りをあげたのです。
この投資会社がなかなか契約金を
支払わなかったので、杭州政府は、
契約金を支払ってもらうため、アメリカに
人を送ることにしたのです。
ジャックマーに白羽の矢があたったのです。
折衝と通訳を任されたのでした。
結局は、この投資会社は、
詐欺会社だということが判明したのです。
なんとジャックマーは軟禁状態にされ、
要求を飲まなければ始末するとまで
言われたそうです。
この投資会社に、
中国でインターネットビジネスをやるからと
話したら、ようやく釈放されたのです。
この急場凌ぎの口実が、
後々の事業になるとは、
この時点では、思いもよらない事でした。
ジャックマーは、インターネットのことは
全くのど素人だったのです。
しかしながら、当時アメリカのシアトルで、
娘婿がインターネットビジネスを
やっていることを思い出したのです。
インターネットビジネスへの道のり
転んでもただでは起きないジャックマーの
面目躍如たるものがあります。
インターネットの何たるかを
知らなかったのですが、ジャックマーは
独特の嗅覚で、転機になるビジネスだと
直感したようです。
ジャックマーがシアトルに行かずに、
そのまま中国に帰国していたら今日の
アリババは存在しなかったと思います。
最後に
今でこそ、ジャックマーは、
華やかな光り輝く存在ですが、
今日に至るまでの間には、
数多くの挫折や困難に直面しているようです。
「挫折を恐れて諦める者に成功はない」という
言葉は、本当に響いてきて、
脳裏から離れないです。