三島由紀夫と川端康成がノーベル賞めぐり葛藤とは驚愕してるのは誰

 

はじめに

2019年2月4日に、

「NHKクローズアップ現代」という

とても興味深い番組がありました。

それは、三島由紀夫と川端康成の死について

考えさせられる番組になっていました。

司会進行役は、演出家・宮本亜門でした。

ゲストに、女優で作家の中江有里と作家の

平野啓一郎です。

番組の途中には、三島由紀夫と川端康成に

関わりのあった人々に

インタビューしていくという

構成になっていました。

宮本亜門は、「オペラ金閣寺」など数多くの

三島作品の舞台演出を手掛けてきたようです。

平野啓一郎は、三島作品の『金閣寺』によって

文学に目覚め、三島無くして

作家にはなってないそうです。

三島由紀夫がノーベル賞を受賞していたら

この番組の冒頭、宮本亜門の

「運命について考えるようになった」という

発言で、始まります。

宮本亜門が何故そう考えるかというと、

最近、ノーベル賞選考資料が公開されたという

事でした。

もし、三島由紀夫がノーベル賞を

受賞していたら、その後三島は、

変わっていたかどうかという点で、

平野啓一郎は、「三島は人生の後半において、

あまり作品を書くことに

自信がなくなっていたのでは、

三島は40歳にして迷い、

それ故にノーベル賞が欲しかったのでは…

40歳の頃、

1966年から政治的になって、1968年に

仮にノーベル賞を受賞したとしても

変わらないのでは…三島にとって戦争体験の方が

大きく、サバイバーズ・ギルトのような

脅迫観念に囚われていたのでは…

大義のない世界に何となく生きているという」

と述べています。

宮本亜門は、「当時三島は

世界一周旅行をしていて、

世界に認められたいと強く

思っていたのでは、それに、

ノーベル賞のために、

後10年待てるかと思ったのでは…

また、演劇人として自分の

シナリオ人生の台本を

作り直したのでは」と言います。

中江有里は、「川端康成と三島由紀夫は、

師弟関係のようでも親子関係のようでもあり、

三島は川端に気弱な面も見せていたので、

同じノーベル賞を争い川端康成の

心境は複雑だったのでは、」と発言しています。

ノーベル賞受賞の重さ

三島由紀夫にとって川端康成の存在は、

大きかったようです。

川端康成が三島を文壇に

後押ししたこともあり、

それで一躍、三島は人気作家として

デビューしたのです。

海外の新聞でも「世界の文豪」として

紹介されたりもしました。

そして、三島由紀夫はノーベル賞を

強く意識するようにもなったようです。

ノーベル賞は、三島にとっても

格別だったようです。

川端康成は、三島を高く評価し、

「日本で初のノーベル賞を受賞するのは、

三島くん以外ありえない」とも

発言していたそうです。

ところが、このノーベル賞をめぐり、

二人は、複雑な感情があったようです。

それは、次のような新証言です。

三島が生前親交のあった女優の

村松英子によると、

三島の母親から聞いた話だそうですが、

「君はまだ若い。今回は譲ってくれないか?」

という川端康成の話に三島が

ショックを受けていたとのことです。

また、川端康成は三島に、

「推薦文をお書き頂きませんか?」と

依頼していたそうです。

ノーベル賞受賞後の川端康成

そうこうして、1968年10月に、

川端康成がノーベル賞を受賞したのです。

受賞後に、川端康成は、

「翻訳者と三島君が若すぎるおかげです。」と

コメントしています。

その受賞の2年後、1970年11月25日に

三島事件が起こります。

川端康成は、即現場に駆けつけますが、

かなり衝撃を受けていたそうです。

川端康成は、ノーベル賞を受賞後かなり

多忙で、不眠症に陥って睡眠薬を

服用していたそうです。

「創作こそ作家の命、創作できない」とも

漏らしていたようです。

それまで長編小説を書いていたのですが、

三島事件後、執筆が止まったそうです。

そして、自死の6日前の手紙で

「心弱り」を意識していたとのことです。

三島事件の2年後に川端康成はガス自殺を

決行したのです。

川端康成の自殺について、女優の岸恵子は、

「図太い方だった。必然的な締めくくりでは…

もう終わりにしようと…」と述べています。

中江有里は、「三島の葬儀委員長を務め…

自分の死の瞬間を決めたのでは…」と

発言しています。

最後に

とても興味深い番組でしたが、

死人に口なしで、

あくまでも想像の域を出ないわけです。

しかしながら、二人の死について考えるのは、

今現在置かれている私たち日本人の

振り返りを強烈に意識させるという点では、

とても示唆に富んだ魅力的な

番組構成だったと思います。

ABOUTこの記事をかいた人

長年教育の場で、働いてきました。 前半は、日本の小学校で、 後半は日本の高校、日本の大学、 中国とベトナムの大学で日本語教師という風に! 今年2018年6月に日本に帰国しました。