ドナルド・キーン源氏物語で日本と出会い日本語日本文学の伝道師

 

はじめに

2月25日付朝日新聞朝刊の

ドナルド・キーンさんに関する

「天声人語」には、感銘を

受けました。

慰安婦報道については、

何かと問題のあった朝日新聞ですが、

さすがに、天声人語の文章は

格調高い美文調で感動しました。

ドナルド・キーンさんについて

2019年2月24日にドナルド・キーンさんが

心不全で死去されました。

96歳でした。

ドナルド・キーンさんは、1922年

アメリカのニューヨークで出生しています。

日本文学研究者であり、

文化勲章受章者でした。

ドナルド・キーンさんの作品

ドナルド・キーンさんの主な著作・翻訳は、

以下の通りです。

日本人の西洋発見(1952年)

太宰治「斜陽」翻訳(1956年)

碧い眼の太郎冠者・三島由紀夫「近代能楽集」
翻訳(1957年)

吉田兼好「徒然草」翻訳・三島由紀夫「サド侯爵夫人」翻訳(1967年)

日本人と日本文化(司馬遼太郎との対談)1972年

安部公房「棒になった男」翻訳(1975年)

日本文学史(〜1997、全18巻。のち「日本
文学の歴史」に改題)1976年

私の日本文学逍遥(1981年)

百代の過客(1984年)

松尾芭蕉「おくのほそ道」翻訳(1996年)

明治天皇(2001年)

私と20世紀のクロニクル(2007年)

日本人の戦争(2009年)

ドナルド・キーン著作集(〜18年全15巻)2011年

源氏物語との出会い

ドナルド・キーンさんは、日本文化を

世界に発信し続けた伝道師だったと思います。

コロンビア大学在学中に英国の東洋文学者

アーサー・ウェイリー訳「源氏物語」に

出会い、その後の人生を決定づけたのです。

戦時中の体験

ドナルド・キーンさんは、1942年の

日米開戦時に米海軍日本語学校に

入学しました。

その後、語学将校として、

ハワイや沖縄で従軍したそうです。

そこで日本兵の日記の翻訳や捕虜の

通訳をしたようです。

語学将校とは、本来軍事的な情報を

探すのが目的だったのですが

日本兵の日記を読むうちに、

その内容に引き込まれていったとのことです。

一例として、

部隊が壊滅して、

7人だけがとり残されたのですが、

それでも新年を祝おうと、13粒の豆を

分け合っていたという内容の

日記だったそうです。

そのような数々の日記について、

「私が初めて親しく知るようになった

日本人だった」とドナルド・キーンさんは

述べています。

戦後の活躍

戦後は、

ハーバード大学、ケンブリッジ大学で

日本文学の研究を続け、1953年から

京都大学に留学したのです。

親交を結んだ作家は数多く、

谷崎潤一郎、川端康成、

三島由紀夫などです。

特に三島由紀夫とは、親しく

三島作品を絶賛していたようです。

1982年〜1992年は朝日新聞の客員編集委員

1992年にコロンビア大学名誉教授などに携わり

2008年度文化勲章を受章しています。

2011年東日本大震災後、被災地の静かに

列を待つ人々の映像を見て感動し、

「今こそ、日本人とともに生きたい」と

決意されたようです。

最後に

ドナルド・キーンさんは、

日本及び日本人の大いなる理解者であったと

あらためて、感じます。

東日本大震災後には、日本へ

帰化を表明され、鬼怒鳴門という雅号まで

考案されたということです。

インタビューで、「今の日本で、僕は幸せ」

と語ってもくれたそうです。

ドナルド・キーンさんの存在、人生そのものが

日本への最大の贈り物だったのではないかと

思います。

私たち日本人は、ドナルド・キーンさんの

日本への愛の深さに感謝せざるを得ないです。

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