北一輝の対英観と対米観

北一輝の対英国観

北一輝は第一次大戦中の早い時機に日英同盟の破棄を主張した 。

すなわち「日英同盟は日本及び支那の一撃によりて破却さるべきことを信ずるものなり。

この信念は不肖の首級を掛けて諸公に訴へんと欲する所のものにして本書論述の主眼亦

実に茲に存す 」というように北は強弁している。

何故にかくも日英同盟に反対するのか、

北一輝の真意は何かを考えると、北の政治思想の根幹を覆しかねないのが、

日英同盟なのである。北は「英国本位の対支外交は加藤前外相が

英国的紳士なるが故にあらず又日支交渉に始まれるに非ず。

実に日英同盟を自主的に理解する能はざる日本外務省の結核性遺伝病なり。 」と激越に

批判している。

すなわち日英同盟とは、帝国主義・植民地主義の代表者とも言える英国と提携することである。

英国はインドを植民地とし、さらには中国にその食指を伸ばし中国を分割し、

まさに植民地化し、ただ利権を貪るだけであり、中国革命には何の理解も援助も

顧慮しない存在であった。

前述した北の政治思想から判断すると、

北が「支那保全主義と日英同盟とが絶対的に両立する能はざることを信ずるものなり。 」と

主張しているように、英国との提携は中国への保全いわゆる「支那保全主義」を形骸化し

破却してしまう危惧が存在した。

「支那保全主義」とは日本にとって根本的な大義である。

かつて日露戦争で「支那保全主義」が顕現したにもかかわらず、

日本の英国に対する奴隷的屈従外交によって、まさに危殆に瀕している。

つまり英国外交に追随する日本は、「復辟の背進的逆転」であり、

「維新革命の魂と制度」を見失った

「朽根に腐木を接いだ東西混渚の中世的国家」であるとまで、北はいう 。

このような日英同盟の誼によって大隈内閣加藤高明外相が進んで第一次大戦に

参加することを導引し、独逸を敵に回したことは、

大いなる外交的失策であると北は考えるのである。

北が「独逸が、今日意外にも英露と相闘ひ、以て背後より革命の支那を保全すること恰も

仏蘭西革命に於ける露の如くなれることなりとす。 」と述べるように、

「支那保全主義」を支える独逸の存在意義を北は高く評価していたのである。

ここで、北は第一次大戦に参戦することは日本にとって大なる失敗だったと認識している 。

北一輝の列強諸国に対する認識は次の論述でよく理解できる。

すなわち「独逸に対して平和あらしめよ。

彼は宿昔の半亡国より学術と勤勉を以て刻苦富強なりし者。

小弱国を貪食して大なりし露の如く、未開人を屠戮して富を積みし英に非らず。 」と

北は独逸を好意的に観察している。

このような独逸とは、来るべき日英戦争に備えて軍事同盟をさえ締結することを

念頭においていたのである。

北は英国を打撃するのに独逸と提携し、

「日独の海軍は大西洋と太平洋に彼の海軍を分割せしめ、本国の降伏は独逸によりて、

本国其者に値する印度の独立は日本によりて実現せらるべし。

斯くして異人種迫害の罪悪史は英帝国の分割によりて終末を告ぐべきにあらずや。 」と

楽観的とも言える予測をたてる。

これは、後の日独伊軍事同盟とは全くその意義が相違していることは、

前述してきた北の政治思想からも首肯できることである。

北一輝の対米観

ところで、日本政府の第一の外交的失策が、第一次大戦に参戦し、

独逸を敵に回したことであり、また第二の失敗が日本外交における米国との関係である。

当時の為政者に、北は「何者の計ぞ日米戦争の如き悪魔の声を挙げて日本の朝野を

混迷せしめ、支那に事あれば先ず米に備ふるの用意を艦隊司令官に命ずる如き

狂的政策に奔らしむるや。 」とまで痛烈に批判の刃を浴びせている。

米国はいわば、欧州で最も優秀な独逸人が、同時に米国での政財界の有力者であり、

どちらかと言うと独逸系の国家であると、北は分析している。

このような米国と、北は日米経済同盟を締結するという壮大な構想を抱いていたのであるが、

当時の朝野が考えも及ばないものであった。

これも北の政治思想の根幹を考慮すれば、容易に理解できることである。

この日米経済同盟も対英戦争が北の念頭にあったから出てきた発想である。

日本が米国と提携する意義はどこにあるのかというと、

「支那保全主義」を支えるものであると断言できる。

それには、米国の資本を中国に導入することであると北は考えるのである。

つまり、「米国が支那に投資すること、一億より十億に進み百億に達せば、

日本の市場が数十倍の貿易表を示すときなるとともに米国は愈々其の投資の保障を

日本の実力ある保全主義に繋がざることを得ず。

別言すれば、日米経済同盟とは米国をして日本に叛く能はざらしむべく、

米国より保証金を日本の兵力下に供託せしむることなりとす。(略)

米の対支投資は支那保全主義に対して日米間を

不可分的同盟たらしむるものなり。 」というように、

北の日米経済同盟は壮大なる構想である。

北が想定したように米国が日米経済同盟に参加するかどうかを判断するのは困難なことである。

ただし、もし北のこのような外交戦略が、当時の政府によって採択されたと仮定すると、

日本が第二次世界大戦に参戦する課程で、何らかの変化があったかもしれないとは

言えるのではなかろうか。

にもかかわらず日本の錯誤した外交政策は米国をも敵に回していくような方向に

転落していくのである。

北の危機感ここに極まれりとも言えるのである。

当時の為政者が米国における人種差別問題 を特に強調していたのにも関わらず北は

米国に対しては、この点に関しても寛容である。

北の主張するところをみると、「自国に敵意ある日本人を排斥する米国は国家の

自衛的権利を行使せるもの。(略)移民拒絶が日米開戦の理由たり得るならば

日本は巳に早く日英戦争を実行したるべき論理ならずや。 ― 際限なき英国の奴隷よ。

是英国が日本をして己れの拘束より離れざらしめんが為めに却て巧みに

煽動するところのものに非ざるなきか。 」というように、

英国の策略さえ憶測している有様である。

北は「日米の離間は英国の秘策なるを警告す」とまで言うのである。

このように、英国が日米の離間を画策する中で、日米が実際に経済的に提携し得ることを

北は次のように分析している。

米国にとって中国は何らの足場を有しないので、米国はすでに列強の分割によって

中国が閉鎖されるのを危惧して領土保全主義を掲げたのである。

この道以外に米国が中国に入り込む余地がなかったのである。

このような事情から、北は「彼の弱点は支那の投資に於て日本の保証なくんば元利一切の

不安なることにして、日本の弱点は彼の投資によりて支那の開発さるゝなくば日本の

富強なる能はざる利害の一致に存す。 」というように日米が必然的に経済的に

提携してやっていけると主張するのである。

さらに北が「支那に横溢せざるを得ざる大資本を抱ける米国が、

今日に至るまで一の利権的立脚地を支那に有せざることは、

日米経済同盟の可能をして更に大可能ならしむる者なり。

固より両国の投資は中世的組織の維持に

用ひらるべきものにあらざることは論なし。 」と決して中世に

「逆倒」することを許さないという点では、前述した北の政治思想から判断すると、

首肯し得る。

日米経済同盟による鉄道敷設は列強の鉄道敷設権と借款権と両立しないのは

当然のことである。

これらの鉄道を没収することによって中国が分割の危機から脱出する前提が

出来あがるのである。北は「日本の動かすべからざる対支根本政策は彼等の

分割的基準を一掃せんとする冒険を援助して保全主義を徹底せしむることなり。 」と強く

主張するのである。

保全主義を徹底することの当然の結論として「経済的貴族国」とも言うべき大英帝国は

解体するしかないというところにまで到達する。

にもかかわらず、日本の為政者のすることは、

悉く北が主張する「太陽に向って矢を番ふ者」である。

ここで十分反省し、「天地の正義」に従ってはじめて「太陽旗に守護」されるのである。

北一輝は当時の為政者がはまさに太陽に矢を放つ者であり、

北の構想にある日本の進路の軌道から大きく外れていくのを座視できなかったのである。

これらの北一輝の外交戦略や中国保全主義といった彼の主張すべてが、

北の純正社会主義、国家観、歴史観に、徹底的に基づいていることは明確である。

また、北のこれらの主張の背後には、当時世界列強の帝国主義的政策に対する北の強力な

対抗意識があったことは言うまでもない。

さらに、日本という国家の保全や発展のために中国の保全が必要だという北の慧眼は、

当時日本の政府当局者や知識人の誰もが理解しきれなかったのである。

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長年教育の場で、働いてきました。 前半は、日本の小学校で、 後半は日本の高校、日本の大学、 中国とベトナムの大学で日本語教師という風に! 今年2018年6月に日本に帰国しました。