現代における北一輝問題

 

北一輝研究事始め

私が北一輝の研究に取り組み始めたのは、

大学院博士前期課程在学中の事であった。

本論文が完成するまでに、7年以上の歳月が経過したことになる。

私の研究の事始めを指導して下さった

大阪大学大学院国際公共政策研究科のY教授の心暖かいが、

厳正・的確なご指導には深く感謝せねばならない。

2001年5月の政治思想学会での発表においては、

適切なアドバイスを頂き、何か自信のようなものが身についた。

同年12月の博士論文口頭報告審査会では、目から鱗の助言を拝受し、

後の論文完成に大きな示唆を得ることができた。

また拙稿を審査して頂いたF教授、E教授にも心から深く感謝したい。

特にこの論文の作成には、博士後期課程から、

「丸山眞男読書会」に参加させて頂き、この読書会で教わったことが

何より大きな力になった。

なおこの本論文における文章と分析の責任は、すべて筆者にある。

北一輝研究への問いかけ

ところで、①何故北一輝研究なのか、

②この研究が社会に対してどのような貢献をするのか、

それは③公共政策の観点からどう把握できるのかの問いに答える必要がある。

まず、①何故北一輝研究なのかの問いであるが、

私が1971年に早稲田大学に入学した時期は、

前年(1970年)に、三島事件や田宮高麿を中心とする

赤軍派のハイジャック事件が起こった年であった。

入学の翌年(1972年)は、連合赤軍による浅間山荘事件があったり、

また沖縄返還闘争も激化しつつある状況にあった。

現象面において革命の熱情に燃えたぎる

ブレーキのかからない学生群像がそこには存在していた。

その後、何年か経過し、あの当時の学生時代とは

一体何だったのだろうという問いかけが

胸奥から湧出してきたのである。

それは、北一輝とは何者か、北一輝を通して学生時代を見つめ直す作業、

それは同時に、この日本の近代以降の歴史、政治、思想等を真面目に

再考する作業ではないかと思えてきたのである。

これは、さらに②この研究が社会に対してどのような貢献をするのかという

問いかけへの答えにも通ずるのではないかと思われる。

北一輝が「人道の大義」を佐渡新聞に投稿し、

社会主義思想の研究を開始したのが、

1901年という20世紀の幕開けの時期であった。

その後、『日本改造法案』を携えて、活躍したのは1920年代であり、

私の学生時代はそれから約半世紀後の1970年代である。

さらに約四分の一世紀後の現在2001年という21世紀の

スタート地点にあるのだが、日本は内外ともに、激動の渦中にある。

北一輝の時代と現代

北一輝の時代は1904年に日露戦争があり、国民の間では、

非常な危機感とともに、一部に非戦論もあったが、

開戦論が主流を占めていた。

社会主義思想を堅持していた北であったが、

日露戦争に関しては、幸徳秋水・木下尚江等の非戦論と

真っ向から対立した。

2001年の現在も、対テロ戦争なるものが、

日本の安全保障・外交政策などを大きく転換させようとしている。

小泉首相は逸早く対米協力を打ち出し、

従来の政策転換を図ろうとする姿勢を示している。

歴史は繰り返すというが、北一輝の時代状況を鳥瞰することによって、

日本は過去の失敗を決して繰り返さないためにも何がしかの示唆が

得られるのではないかというのがこの研究の貢献の一つではないだろうか。

この貢献は③公共政策の観点からどう把握できるのかということであるが、

北の国体論批判や『支那革命外史』における日本の為政者の

外交政策批判等は、支配者イデオローグ批判のモデルにもなり得、

『国家改造案原理大綱』での政策提言は現在の地点から見ても、

その政策提言の重厚さは驚嘆すべきものがある。

また個人間の自由競争に敗れた弱者の人権について配慮している点は、

まるで市民社会の役割を彷彿させるかのようなものであり、

「公共政策」に該当すると言えるのではないだろうか。

この「公共政策」は本格的な国家による政治的施策の問題とも言える。

さらに、この研究の成果によっては、これからの改革の方向の一面を

示唆する現代日本国家システムが転換期に置かれていると言われる中で、

十分な指標を得ることもできるのではないだろうか。

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