住めば都か山東省煙台

初めての中国

2016年8月から約1年間、日本語教師として、中国山東省の煙台市に赴任しました。

中国は本当に近くて遠い国というイメージがあったのですが、

住んでみてはじめてわかることが多々ありました。

2016年8月27日(土)16時40分関空を離陸し、はじめて中国の大地を踏みしめることになった。

赴任先は山東省烟台市である。

日本とは歴史的にも深い関わりのある都市だ。烟台市は山東半島東部に位置する港湾都市でもある。

四季があり、ほぼ日本と同じだが、冬は関西より寒い。

空気は綺麗で、北京のようにマスクをしている人はいない。

自然災害がほとんどなく台風、地震、洪水等は全く無い。

晴天が多く中国の中でも特に過ごしやすい都市の一つである。

魯東大学の学生とは

さて私の赴任した魯東大学は少し郊外に位置しているが、

町の中心部にはバス・タクシーで2~30分以内で行ける。

中心部はかなりの都会で、イオン、ユニクロ、無印良品などがあり、新華書店という大きな書店もある。

居住環境は交通の便も含めてすこぶる良い。

このような恵まれた環境の中で学生はいじらしいほど勤勉である。

全寮制の国立大なので、欠席はしないし、宿題の提出も全員出すなどの完璧さである。

中心部から少し離れた大学周辺は日本のような遊ぶ所が無いので、すれていなくて、純朴な学生が多い。

所謂純粋真っ直ぐだ。

今、着任当初の事を振り返ると、

「何じゃ!こりゃ!」と思うようなことが多々あったが、なつかしささえ覚える。

教室に入るのに、カードが必要で、カードが出来るまで入口で右往左往した。

教室内の機器(特に電子黒板)も日本の大学より進んでいて、操作が難しく、

教室によってはマーカーもチョークも使えず自ら携帯用のホワイトボードを持ち運んでいた。

たまに停電もあった。

実際忘れもしない11月3日(木)夜7時からの2年会話の授業中、突然部屋中の明かりが消えた。

何人かが明かり(携帯)をつけ、歌は歌えそうだったので、1時間ほど、みんなで歌ったり、

こちらも自慢のノドを披露したりしたが、

電気が復旧しなかったので仕方なく解散した。(でも歌って楽しく過ごせた)

とにかく色々意外性のある体験をさせてもらったせいで、今ではなつかしい思い出だ。

授業も徐々に楽しくできつつあり、教室に入るのが楽しみでもある。

大学での授業について

一時帰国の冬休み中に大阪梅田の丸善ジュンク堂や東京神田のそうがく社で日本語教育教材を買い漁った。

(数万円費消)特に作文・小論文や会話の授業に使えそうなもの古典の資料、

日本の高校生が使う受験参考書や百人一首等々。

今では、とても役に立っている。(時間も金もかかったが)

現在の担当教科は、2年の作文・会話、3年の古典文法・応用作文・上級会話で週7コマである。(1コマ100分)

古典文法以外は、すべて自分でテキストを決め、自由に授業内容(教案)を作成し、完全に任されている。

作文は添削が大変だが、下書き・清書・浄書までやり力を入れている。

会話は授業のテーマに沿いつつ、

自由な発想や場面設定しロールプレイまでやりとげさせている。(これは面白い)

授業以外の活動としては、朗読コンクールや日本語音声・スタイルコンテストの審査員をしたり、

学生との交流では、烟台山登山やカラオケボックスや火鍋を食べに行ったり、

寿司を食べながらNHK紅白歌合戦を鑑賞したりして楽しく過ごしている。

学生にとっては可能な限り日本語に接する時間を確保する必要があると思われる。

その意味でも日本語教師の役割は大事である。

視聴覚機器やスマホからでなく生身の日本人から発せられる日本語から受ける印象は強烈であると思う。

ゆえに日本語教師は、自らを高める努力は欠かせない。

私事ではあるが、私自身修士・博士論文を四苦八苦して仕上げたこと、演劇部顧問の経験、

大阪のシナリオセンターに通っていたこと等がとても役に立ち、今に繋がったなと実感している。

このような経験を踏まえ、大学院進学希望者が色々質問してきた場合も丁寧に、答えてあげている。

最後に次のような言葉で締めくくりたい。「荷が重いのではない、自分の力が足りないのだ」と自覚し、

日本語教師としての力量を高めるため日々精進努力する。

また「この世のもっとも純粋な喜びは、他人の喜びをみることだ」との思いで、

学生が日本語学習する喜びを見いだせたら、素晴らしい。

ABOUTこの記事をかいた人

長年教育の場で、働いてきました。 前半は、日本の小学校で、 後半は日本の高校、日本の大学、 中国とベトナムの大学で日本語教師という風に! 今年2018年6月に日本に帰国しました。